言霊百神

2016年07月23日

太の安麻呂卿のお墓と、いまに遺されているお骨のことなど

 私のブログのひとつに「起きたことは必要必然ベストととらえ、上手に生きていく」というタイトルのものがあります。
その写真の背景は、実は太安麻呂の墓前です。4年前の写真です。

奈良の平群の山の中に、火葬されたお骨が残されていたのです。
もちろん正式な安麻呂のお墓です。
たしか元正天皇(女性)も火葬だったはずです。

その現存していたお骨は、4年前、古事記編纂1300年紀にちなんで太安麻呂のゆかりの神社に還され、いまはご先祖とともにあります。
私も立ちあいました。

 その安麻呂卿は1308年前に、伊勢神宮へ奉納文を奉じています。
和銅元年のことです。
が、いま、彼の筆跡そのままの奉納文を目の前にすると、さすがに彼が眼の前に現れてくる思いがして気持ちが高ぶってしまうのです。
 しかも、この奉納文は、伊勢神宮の式年遷宮が行われ始めた頃の奉納文なのです。
さすがは、神領の伊勢です。「かみのみたから」としてていねいに継承されてきたのです。

そして、その奉納から4年後に古事記が編纂されています。

 彼が奉納した文の内容は、信州の「美しの森の大御食(おおみけ)神社の古代文字での正規の社伝記へとつながっていきます。キーワードは「ヤマトたける」、あるいは「やまとたけ」です。

この神社の社伝には、西暦でいえばAD100年頃から以降900年間近くにわたる出来事が記載されています。

 この社伝記からみると、やまとたけ尊が「みかど(天皇)」であったこと、その子仲哀天皇の后、神功皇后も「みかど(天皇)であったことが読み取れます。

使われている文字は、全国の分布例からみて、やまと全般に普及していた標準的な文字です。
面白いのは微妙に地域差があるという点です。
それは、当時は印刷機がなかったということを物語っているともいえます。
筆字は下記グセに個人差がでるという当たり前のことを認識したうえで点検していく配慮が必要です。
地域に普及するなかで、変形していった文字もあったということも視野に入れておく必要もあります。

そこに、残されてきた文書や、文字がある。
どの時代かのどなたかの思惑は無視して、遺された文書などの物証をもって
各人が日本の国の歴史の長さと、継承されてきた文書の価値を認識すればいいだけのことなのです。

この大御食神社社伝記もまた、人類の御宝なのであります。

おおした
posted by 大下伸悦 at 02:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする