言霊百神

2015年01月30日

編集会議の進展は極めて順調






☆☆☆ 「天の岩屋戸」神話において、天のウズメたちは何神で踊ったのか、あるいは躍ったのか。


http://snb-omega.com/?pid=84887139



1月25日の編集会議は充実した内容でした。
研究スタッフの実力は想像以上です。
2月7日にそのことに触れていきます。
posted by 大下伸悦 at 06:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月23日

言霊百神「天の岩屋戸神話の意味」….2月8日に明かします。



◎◎◎「天の岩屋戸神話」の役割は?2月8日に明かされる◎◎◎


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◎ 無と空・そして抽象と具象の界は重層し、あるいはテンとなる。


抽象と具象を生す五十の「さが」と
五十の「はたらき」がある。


五十の「さが」をコトタマと呼ぶ。
五十の「はたらき」をコトダマと呼ぶ。
併せて百の言霊…。
これが「言霊百神」である…。


私たちの抽象・具象界は、「言霊百神」の作用によっている。


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∴ 「先天十七神」の「プラスとマイナス」のはたらき(十六と十七のはたらき)
  を「創造」の親神と呼ぶ。


※ 後天三十三神の三十三番目の神は上記十六と十七のはたらきによって
  生じたわけではない。


∴ 後天一番目から後天三十二番目の位置は、具象「結果成果」という現実が
  納まる位置にある。
  「現実」とは「爾(に)」であり「虚」なのであるが、しかし、「思いと行動」
  の結果成果なのである。


※ 九十八番目の神は、「天界」を象徴する「はたらき」を生す。
※ 九十九番目の神は、「美」あるいは「真」を司る「はたらき」を生す。
※ 百番目の神は 、秩序の形成・維持・進展、あるいは、秩序の崩壊・破壊を生す。


※ 天のウズメの神には、なぜ「天」が冠されるのか。


☆☆☆ 「天の岩屋戸」神話において、天のウズメたちは何神で踊ったのか、あるいは
     躍ったのか。


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◎ なるべく「言霊百神」の講演はしないようにしているのだが、
2月8日は伊勢神宮の神代文字・奉納文研究のメンバー手塚さんの要望があったので、
披露することとした。


◎ 天の岩屋戸神話は、実は「すめらみこと」への、いわば教書といえる役割を果たすもの
  なのであるが、当日は、その意味を初めて明かすことにしよう。


※※ しかしながら、しかしながら…。それにつけても「ひふみのりと」&「いろはうた」は
    何を知らしめようというのか。知ってどうせよというのか…。


小滝流水(Kotaki Ryusuwi)


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ところで
「さが」とは?
もちろん性質のことを指す。




●1月25日、伊勢神宮に遺された神代文字・奉納文:保存運動のための
 紹介本の編集会議を開きます。(1400年以上前のものが含まれます)
posted by 大下伸悦 at 09:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月06日

言霊百神「天の岩屋戸神話の意味」その1の後1

 
◎ところで…、イザナギ神(伊弉諾の尊)は、女神イザナミ神と交わり
「コトタマ五十神」を産んでもらった。
次に、「コトタマの運用則」であるところの「コトダマ五十神」を生じさせた。
 ここに言霊百神が勢ぞろいしたのであった。「神とはなんぞや。それは、はたらきであり、作用であり、法則のことである。私たちの祖先は、それら宇宙の摂理、法則性などこそが、いちいち「神」なのであると特定し表現してきたのである。
したがって、西洋などでみられる「ある時期生きていた人間が創始した宗教という名の集金システム・マインドコントロールシステム」とは、まったく異なるものである。宗教は得てして「相反して争いを繰り返すこと」が仕組まれていたりするのだが、そういう次元とは全くことなり、そこには「道」があるだけなのである。茶道も華道も武道も神道も、みな同等に、やがていきつくところに行きつくための「道」なのである。
さて、天命を果たし、それを見届けたイザナギ神は、静かに、幽(かそ)けき永遠の隠れの宮「スの宮」にお隠れになられた。
「ス」は、河の真ん中(中州・ナカス)を示唆し、右(陰)でも左(陽=日足り)でもなく、三位一体の真ん中(±ゼロ)であることを意味する。
 それは、「必要ある時には陰と陽の機能を働かせて思いを実現するが、その機能は真ん中にあるエネルギーホール(中庸)の手足なのですよ」、といわんとしているのである。
 陰陽は必要ある時に両翼を広げて思いを具象化するためのはたらきをなすものであって、そこに「陰陽の相対」が独立してあるわけではない。
諍(いさか)いを起こさせるための「はたらき」とは全く無縁のものなのである。
イザナギの大神は、そのことを諭(さと)すように、「アマテラスよ、汝はてっぺん界(天上の界)タカマハラを治めよ」といって「ミクラタナのはたらき(=神)」を御首に掛けてお与えになられたのであった。
天上の界とはなんぞや?
タカマハラとは?…、タカマハラ・ナヤサとはなんぞや?
「アマテラス大御神」の役割とはなんぞや。
「ミクラタナ」とはなんぞや?
スサノヲ神がアマテラスの稲田(いなだ)のアゼを壊し、溝を埋めた、とは言霊上では何を指しているのか?
天の岩屋戸神話が現代に遺す衝撃の真実やいかに…。(笑
 
ともかく言えること。わたしたちは究極の言霊宇宙(天然自然の理)の
仕組みを神話のかたちで継承している、ということなのである。
もっと、威風堂々、夢を持って豊かな「真・善・美・創・愛」の精神宇宙を
楽しんで、上手な旅を続けなければいかにも宝の持ち腐れなのだということを切に申し上げたい。
 
大下
つづく 
posted by 大下伸悦 at 09:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする