言霊百神

2016年07月25日

7月30日、横浜港北での「言霊百神の集い」、今回のテーマは「言霊百神の源流」

会場は、横浜港北(綱島駅徒歩7分)ギャラリー大綱(大綱会館)
 
 13時00分 開場
 13時30分 躰道よみ還りのワーク
      言霊百神の源流
      蘇生系と崩壊系のゆらぎ
      上手に生きる.1
 14時45分 小笠原孝次のことだま百神
 15時30分 呼吸書法のワーク
 16時30分 終了
 3会場を使って行います。
 前半は1階奥ギャラリー右
 中盤後半は2階右会場
 懇談会は、1階カムナcafe(希望者のみ). 

ギャラリーの伊勢神宮奉納文/展は、非公開ですが、
参加者は13時からと休憩時間にご覧になれます。

残席8名です。体調が悪い方は別メニュー追加
11時にいらしてください。
080-6778-7945 ooshita


※長野県南木曽流水亭での
 7月24日の
 古代文字瞑想書法の会&「たねこ文字50音編集会」は
 ありがとうございました。
 次回は8月20日、7月参加者のみ可。

 たねこ文字の編集会議です。

おおした
posted by 大下伸悦 at 14:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

太の安麻呂卿のお墓と、いまに遺されているお骨のことなど

 私のブログのひとつに「起きたことは必要必然ベストととらえ、上手に生きていく」というタイトルのものがあります。
その写真の背景は、実は太安麻呂の墓前です。4年前の写真です。

奈良の平群の山の中に、火葬されたお骨が残されていたのです。
もちろん正式な安麻呂のお墓です。
たしか元正天皇(女性)も火葬だったはずです。

その現存していたお骨は、4年前、古事記編纂1300年紀にちなんで太安麻呂のゆかりの神社に還され、いまはご先祖とともにあります。
私も立ちあいました。

 その安麻呂卿は1308年前に、伊勢神宮へ奉納文を奉じています。
和銅元年のことです。
が、いま、彼の筆跡そのままの奉納文を目の前にすると、さすがに彼が眼の前に現れてくる思いがして気持ちが高ぶってしまうのです。
 しかも、この奉納文は、伊勢神宮の式年遷宮が行われ始めた頃の奉納文なのです。
さすがは、神領の伊勢です。「かみのみたから」としてていねいに継承されてきたのです。

そして、その奉納から4年後に古事記が編纂されています。

 彼が奉納した文の内容は、信州の「美しの森の大御食(おおみけ)神社の古代文字での正規の社伝記へとつながっていきます。キーワードは「ヤマトたける」、あるいは「やまとたけ」です。

この神社の社伝には、西暦でいえばAD100年頃から以降900年間近くにわたる出来事が記載されています。

 この社伝記からみると、やまとたけ尊が「みかど(天皇)」であったこと、その子仲哀天皇の后、神功皇后も「みかど(天皇)であったことが読み取れます。

使われている文字は、全国の分布例からみて、やまと全般に普及していた標準的な文字です。
面白いのは微妙に地域差があるという点です。
それは、当時は印刷機がなかったということを物語っているともいえます。
筆字は下記グセに個人差がでるという当たり前のことを認識したうえで点検していく配慮が必要です。
地域に普及するなかで、変形していった文字もあったということも視野に入れておく必要もあります。

そこに、残されてきた文書や、文字がある。
どの時代かのどなたかの思惑は無視して、遺された文書などの物証をもって
各人が日本の国の歴史の長さと、継承されてきた文書の価値を認識すればいいだけのことなのです。

この大御食神社社伝記もまた、人類の御宝なのであります。

おおした
posted by 大下伸悦 at 02:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月20日

古代に広域で用いられていた日本の標準的な文字

古代に広域で用いられていた日本の標準的な文字は
表音文字である。

最近の文字では、約1450年前に
伊勢神宮に奉納文を奉じた物部おこし(尾輿)の文字を
見ることができる。
これは、対馬などにもあり、後白河法皇も用いている。
広範な地域で用いられてきた文字であることが
見てとれる。

祭祀と軍事の総責任者、物部(おおむらじ)尾輿が
神宮に奉納文を奉納した頃は、まだ式年遷宮は
なされていなかった。
また、この頃は神宮(伊勢神宮)ではなく
「さくくしろ五十鈴の宮」と呼ばれていたはずである。

くしろ(釧)とは腕に装備する祭祀具であって
コトダマに関係しているといわれている。

「五十鈴」もまた、五十のことたまのはたらきであって、
そのそれぞれのはたらきを神ともいう。
「神=はたらき」なのである。

コトタマには五十の個性があり、
総称して「ことたま五十神」という。

ご遷宮のはじまりは約1300年前のことである。
一方、物部おおむらじ(大連)尾輿が奉納文を奉じた
のは、1450年前、前後のことである。

また、藤原鎌足(中臣鎌子)が奉納したのは
約1360年前頃なのだから、やはり彼が奉納文を奉じたのも
ご遷宮がはじまる前のことである。

彼等の筆跡を見ると、中臣鎌子(のちの藤原鎌足)の字は
あまりうまいとはいえない。
あるいは、入鹿誅殺を前にして動揺があったのかも知れない。
尾輿は上手である。

再度いう。日本の古代の文字は表音文字である。

● 日本の伝統文字は

父韻8韻の表記と
母音5音の表記とでできていて、
しかも、「あ・うん」の陰陽構造を文字で表し、
五母音と五副母音からなる。

五母音+「五×八」+五副母音=五十音
上記に「ん」のことたまが加わる。

尾輿や鎌子の奉納文の文字は、
当時、東北と沖縄、北海道を除く全域に
普及していた文字であった、といえる。

そういえば、東北(ひたかみ)を舞台にした坂上田村麻呂と
阿弖流為(あてるい)母禮(モレ)の事件は、
西暦800年代始めのことであった。
東北は別な独立した国であった、のである。

更に時代がくだっても安倍の貞任宗任達の国、藤原三代の
国が残っていたことはよく知られている。

「ひたかみ国」の名は、大祓詞にも残されている。
日本書紀には「絵美詩」という美しい表現が標されてもいる。

その「ひたかみ」などの「くに」にの文字は
どのような文字であったのだろうか。
ここでは触れない。

それにしてもも物部尾輿らの文字は
実に科学的でわかりやすく合理的なな文字である。

「あ・うん」に、
イザナキ八韻と、
イザナミ五母音がまぐわって
初めて五十音が産まれるのである。
(これがことたま五十神).
尚、イザナキとイザナミのまぐわいからは「ん」の
ことだまは「産まれない」。

さて、八韻とは、いまだ音にならないが
しかし、「そこにある」バイブレーションである。
創造八神ともいい、カミナリに表徴される。

粘土をこねて文字を刻み焼成したものを
「五十土=いかづち」という。

五母音とは、五つの母音宇宙のことである。

日本の文字は、
一音一語の「音」は、575・57577・あるいは
7575のリズムを基調にすることで
意味がわかる構造になっている。

これが日本文化の特徴である。

「いざなきのはたらき」と「いざなみのはたらき」が
まぐわって、最初に産んだのが
575・57577・あるいは7575のリズムであり、
それが「ひるこ」の意味なのだといえるのである。

「こ」は、575のリズムのとき「こ(虚)」を生み、
57577のリズムのとき「こ(子・個・庫・戸)」を
成す。
7575のリズムは、崩壊系のベクトルをとる。
例えば「荒城の月」は7575の「還り」のベクトルにある。

俳句や和歌がひらがなやカタカナのみで表記されて、
なお且つ段落を付けなくても意味がわかってしまうのは
そういうリズムが先に生まれていたからだといえる。

「ひるこ」は、「霊流子」の字をあてるとわかりやすい。
「霊(ひ=たま)」が連なってリズムとなり、「こ」を
生すのである。

おおした

坂東の平将門の書は「たねこ文字」と云われている文字を用いています。
また、南朝の皇族も用いています。
これは日本のどこの「くに」の文字だったのでしょう。

7月の24日の南木曽流水亭では
この「たねこ文字」50音字のおさらいをいたします。
実に格調高い文字です。

posted by 大下伸悦 at 15:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする